この言葉、知ってますよね?これからするのはオリエント文明のお話です。
わたくしみかん、今でこそ理系にいますが、高校の頃は世界史選択者でして
理系にもかかわらず世界史をとってしまったおバカさんでした。受験勉強の
半分以上は世界史だったというおかげで、国語や英語に手をほとんど
つけられず国語は90点しか取れなかったという…ね。英語も7割くらいしか
とれなかったという…ね。よく大学受かったなーって?自慢します。
他がよかったんです。何はともあれ、高校のときの得点源が、数学と
世界史だったことは、今現在教育学部の理科教育にいることと関連がない
わけではありますが、そこは気にせずに。今日は少し世界史のお話を
したあと、妄想を。とりあえず、最初のほうは雑学ばかりですので、
世界史をとっている高校生は見たほうがいいのではないでしょうか。
ってそういえば必修でしたよね。メンドクサイ方は、一気に追記まで。
オリエント文明と聞いて、ピンと来ない人は多いと思います。
オリエントと
いうのは、『
太陽の昇るところ』を意味しており、ヨーロッパから見た
東方、つまり
中東を意味するのです。世界史においては栄えていたのは
近代に入るまで、つまりアメリカやソ連が栄えるまではヨーロッパか
中国でしたし、中国も唐以降国力も落ちてましたからね。異民族に支配
されたり、植民地化されたりと。それはさておき、この地方では一般に
雨が極めて少ないうえに気温が高いため、砂漠や草原、岩山をなす地域が
多いんです。そこでは長い間遊牧生活が営まれてましたが、農業は沿海や
河川地域の平野、あるいは点在するオアシスで行われ、麦・豆類の耕作や
オリーブ、ナツメヤシなどが栽培されたようです。しかしながら、
ティグリス・ユーフラテス川、ナイル川など大河の流域だけは特別で、
毎年一定の時期の氾濫がもたらす沃土を利用して、早くから穀物農業が
行われ、大規模な定住が進み、高い文明が発達したんです。よく言われ
ますよね。大河の流域に文明が発達する、ということを。四大文明を
見てみても、エジプトは『
ナイルのたまもの』なんていうように、
ナイル川流域で起こったわけですし、インダス文明もインダス川で、
黄河文明も黄河で起こったことからもわかりますよね。
さて、
ティグリス・ユーフラテス川流域では
メソポタミア文明が発達しま
したね。メソポタミアとは、『
川のあいだの地方』という意味で、ほぼ
現在の
イラクにあたります。今あれほど騒ぎになっているイラク。昔は
文明が栄えていたんですよね。メソポタミアではBC3500年ころから人口が
急激に増え、大村落が神殿を中心に数多く成立し、やがて楔形文字が発明され、
青銅器や銅などの金属が普及し始めたわけなんですよね。BC3000年ころから
大村落は都市へと発展し、BC2700年頃までには
シュメール人の都市国家が
数多く形成されました。王を中心とした階級社会、神権政治、豪華な
シュメール文化が発達したわけです。しかしこの地は決定的な弱点が
あるのです。それは、
外から侵入しやすい地形であるということです。
さらに、シュメール人による都市国家は絶え間ない戦争により、一般人民は
疲弊し、国家は衰えておりました。そのために、セム語系民族である
アッカド人に支配されてしまったのです。アッカド人の王はサルゴン1世
だったとされております。これは教科書には載ってなかったんですよねー。
ちなみに、シュメール人は、民族系統は不明だそうです。アッカド人は
BC24世紀にメソポタミア・シリアの都市国家を統一して、広大な領域国家を
つくりました。しかし、まもなく滅びたそうです。そのあと一時は
シュメール人が勢力を回復したのですが、やがてセム語系の
アムル人に
よって
バビロン第1王朝(
古バビロニア王国)が起こります。全盛期は
ハンムラビ王のときです。やっとでてきた。今日いちばんしゃべりたかった
こと。すっと言えよ、って感じですけどね。このハンムラビ王のとき、
全メソポタミアを統一しました。そして、運河の大工事をして治水や感慨を
進めたそうです。そして、有名な『
ハンムラビ法典』を発布して中央集権を
図ったわけでして、領内の他民族を支配したわけです。この法典によると、
王は神の代理者として統治し、刑法は『
目には目を、歯には歯を』という
復讐法の原則がたちまして、また、被害者の身分によって刑罰も違った
そうです。ハンムラビ王の時代の文明は、周辺の諸民族の開化を呼び、
前1500年頃までにイランや小アジアの高原地帯の牧畜民は中央アジアや
南ロシアのインド=ヨーロッパ系の遊牧民とともに民族移動を起こし、
青銅の武器と戦車と騎馬によって各地の先住民を征服して国家を形成した
わけなのです。やがて、
ヒッタイト人が古バビロニア王国を滅ぼします。
とまぁ、こんな感じですかね。なんやらわけのわからないことゆーてるな
とか思った人もたくさんいると思いますが、今日ぼくがいいたいのは、
この復讐法のことだったのです。昔、ハンムラビ王のハンムラビ法典に
よって復讐法の原則がたったということから、ちょいと気持ち悪いお話を
書いてみました。長いよー。




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